ボラセンのつぶやき

誰かのせいにして生きてみたかった。けど、、、

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From: ボラセン 

 

何事にも文句を言う人がいる。 

 

「〇〇さんをテレビに映すなんてけしからん!」
「最近の若者は・・・」 

 

身近にも、とにかくいるよね。
何か知らないけど、やたら怒っている人。 

 

僕はよくバイクで配達するバイトをやっているけど、
運転していると近くのタクシー運転手からなぜか怒鳴られることがある。笑 

 

俺のせいかな、って思ったけど、
そのあと他の人にも同じように怒鳴り散らしているのを見ると
あぁ被害者は不特定多数かってなる。 

 

電車の中にもいるよね。
一方的に怒鳴ったり、
分が悪ければ喧嘩になったりしている。 

 

 

僕はそんな人を見るたびに、
羨ましいなあって思う。

 

 

怒りの矛先を外に向けるのは楽な生き方

その人に何があったかはわからないが、僕には助けることができない。
相手は怒鳴りわめくことに力を注いでいるし、冷静さも欠いているし、

 

何より怒っている人のことを僕が好きになれない 笑 

 

 

基本的には、自分の内にある不満や孤独感が引き金となり
そのような行為に及ぶ。 

 

 

彼らは余裕がない。
そして、守備範囲が異常に狭い。

 

(守備範囲に関してのブログはこちら)

borasen.hatenablog.com

 

 

しかし、僕はちょっと羨ましくなる。
それは、彼らは何歳になっても自分の人生に責任を持っていないからだ。

 

 

「いや、おっさんおばさんは自立しているし、自分で生きているんじゃないの??」
という若者は多いかもしれない。

 

だが、残念ながらそんなに彼らは大人ではない。
見た目は大人、頭脳は子供のどうしようもない奴らだ 笑

 

 

とにかく怒る彼らは、こんな特徴を持っている。

 

怒る彼らの3つの特徴

①自分で自分の時間をコントロールできない

彼らが自分で選べる時間の使い方はコントロールされている。
やりたくもない仕事を長時間、帰って、寝て、起きて、出社の繰り返し。

 

彼らは自分の大切な時間を誰かに売っているのだ。

 

 

②自分で自分のお金をコントロールできない

彼らは自由に使えるお金が限られている。
稼ぎが少ないというのもあるが、
それ以上にお金へのリテラシーが無さすぎて、
意味のわからない使い方をする。

 

そのお金の使い方が浪費ではないのか?
他人のPRに騙されていないか?

 

そんな発想さえ無い。

 

 

③自分で自分が関わる人間をコントロールできない

一番の問題はこれ。
よく人間の悩みのほとんどが「人間関係」に由来されるなんて言われる。
(以前流行ったアドラー心理学でも、「人間関係」に関する記述が本当に多い)

 

口うるさい上司、嫌いな同僚、上から目線でくる後輩、
会いたく無いお客さん、・・・

 

それらから逃げることができないのだ。

 

 

 

だから、正直彼らは可哀想な存在である。
ここから逃げることができない。どうしようもない。

 

 

でも、彼らはこう考える。

 

「俺は悪くない。悪いのは社会だ。」

 

 

怒りを社会に向けている暇は無い。まずは自分に向けろ。

あぁ、可哀想だなぁ、
そう思った人もいるかもしれない。

 

しかし、今回言いたいことはそんなことではない。
彼らは明らかに楽なことだけを選んだ。

 

 

僕は思ってしまう。
きちんとした準備をしないまま大人になってしまったんだなと。

 

自分とはどういう人間なのか?
どんな情報を手に入れればいいのか?
誰とつながれば良いのか?
・・・

 

そういう準備をしないと、
どんなものも残念ながら自分のコントロール外になってしまう。

 

 

例えば、時間。


「自分はどんなライフスタイルを歩むべきか?」

 

そんな悩みを若い時に持つことなく、周りに流されるまま人生を歩んできたんだなぁと容易に浮かんでしまう。

 

もちろん、時の運はある。
しかし、少なくともそれを挽回するために足掻くことはできたはずだ。

 

情報さえ持っておけば、
「足掻く」という選択肢はあった。少なくともチャレンジしようという発想が生まれる。

 

そういうことさえ、何もしてこなかった。

 

 

さて、本当に全てが社会のせいだろうか?

 

 

子供の頃は確かに自由は効かない。
しかし、働いたり親元を離れるようになるに従って自由度は高まってくる。

 

自分への自由度は誰しもが高まるのだ。

 

 

それでも、大人になって
その人が自分自身をコントロール出来ているか?は人による。

 

だって、当たり前だよねって思う。
そのための準備をしたかどうかが人によるから。
どれだけ努力しもがき悩んだかという経験値が明らかに違うから。

 

 

僕たちはまだギリギリ大丈夫。自分で自分の人生を選ぼうじゃないか

甘い!!と言われるかもしれないが、
僕はもっと足掻きたい。

 

不自由は嫌だ。
誰かに弱みを握られたくない。
自分の人生を大事にしたい。

 

そう思って自分なりに考える。動いてみる。
僕は少なくとも足掻ける人間でありたいと願っているし、
僕の尊敬する人たちは皆足掻ける人たちだ。

 

 

僕がそうありたいと思うのは、

 

将来、自分を棚に上げて、
身に降りかかる悪かったこと全てを社会のせいにして、
皆に怒鳴り散らし、周りにいる全員に不幸を振りまく人間にはなりたくないという気持ちがあるから。

 

 

自信は無いけれど、
僕は自分の人生を選ぶ。自分で考え行動する。

 

自由に考えられる代わりに、自分に責任を持つというしんどいことをやる。

 

そういう人であり続けたいなって思うんだ。