僕たちは小説の何に対してお金を支払っているのだろうか
こんにちは、ボラセン(@BorasenBorasen)です。
最近、記事やコピーを書いていると、小説やエッセイってすげえなぁと感じることがあります。
多くのライティングは、作者や読者にとってはツールですよね。
何かを伝えたり、自分の知っていることを発信したり、そういうツールです。
ビジネス書や電子書籍、noteなどを買っている人は、文章を買っているのではないと思っています。
僕たちは、、、
「情報」を買っている
言葉というツールを通した「情報」が欲しくて、僕たちはお金を払います。
だから、凄い情報が載っていれば誰かにオススメするだろうし、逆に大した情報が載っていなければAmazonのレビューでタコ殴りになります(笑)
そう、
つまり、僕たちは文章を買っているのではなく、情報を買っているのです。
何故かというと、その情報から得られる自らの欲求の実現や、情報を得ること自体に満足したいから。
以前、ホリエモンさんがこんな漫画を紹介していました。
リンク先の下の方に、漫画の一部が抜粋して掲載されています。
ラーメンの漫画です。
その中に、この漫画を象徴するある一コマがあります。
画中にある通り、
消費者はラーメンを食べているのではなく「情報」を食べている。
凄いラーメンらしい、というのがあればそれで満足する。決して味ではないんだ。
そんな皮肉めいた、でもある種の真実なことが描かれていました。
これと凄く似た事象が起こっていて、
それが、一般的なライティングです。
一方、小説やエッセイはどうでしょうか?
僕たちは小説、エッセイの何に対してお金を支払っているのか
僕も時々、小説・エッセイを読みます。
今もカバンの中には湊かなえさんの「Nのために」が入っています。高校1年生の時に、当時一瞬付き合っていた彼女に「告白」という何故かハイパーシリアスな映画をチョイスされて一緒に見に行ったのですが(笑)、それ以来のファンです。彼女の小説は大好き。
「Nのために」はドラマも見れなかったので、今初めて読んでいます。良いですね〜これ。
まー、時間無さすぎてまだ5ページしか読んでないのですが。。。笑
それはいいとして(笑)、
じゃあ僕たちはそのような小説やエッセイに何を求めてお金を払っているのでしょうか?
ビジネス書と違って、小説を読んでもお金は稼げないし、巷で流行っている時短テクニックみたいなのが盗めるわけでもない。もちろん、「俺これ知ってるぜ〜!」という好奇心及び承認欲求が満たされることもないですね。
それでも、僕たちは小説を読むと涙する。笑えるものだってある。ほっこりとする。もっと頑張らなきゃって思う。
そう、僕たちは、、、
「感情」を買っている
我々は、毎日が激動で冒険者のような日々を送っているわけでもないし、身の回りで次々と殺人事件が起きてそれを謎の能力で解決してるわけでもないですよね(笑)
忙しさにかまけて適当に生きてる日だって多いし、ボケーっとすることもある。何だか物足りないなぁと思いつつも、得意技のスルースキルで現実を見ないことにする。うん、得意です。笑
だから、小説やエッセイを通して、日常で僕たちが味わえないような「感情」を得ているのだと思います。
感情を動かすエンターテイメントは、やっぱり凄い。
苦しい時に、楽しい小説を読むとその苦しさを忘れられるし、
寂しい時には、感情移入できる映画を見る。
一生懸命になりたくてスポーツ漫画を読むし、
非日常空間に行きたくて、こぞってみんなディズニーへ行く。
そんなエンタメのパワーって、やっぱり凄い。
だからって、僕は別にディズニーのキャストになる気は全くないですが(笑)、
自分が日常で誰かに与えているものに、ちょっとずつエンタメの要素を入れれたらなって思っています。
ライティングは、その練習の一つ。どんな感情を相手に渡せるだろうか?その感情は、相手にとって価値はあるのか?それで、自分は納得できるのか?
・・・てなことを考えながら、今日もまた感情を書き込む。
そんな行動もまた感情から貰ったものだし、エンタメから得たんだ。
p.s.
だから、全てを忘れて、取り敢えず今は「Nのために」を読みたい 笑